抄訳 『The Dry Fly – New Angles』
ゲーリー・ラフォンテーン=文
東 知憲=訳
中根淳一=イラスト
イミテーションフライはすべて、自然な誇張を備えていなければならない。すべてのアトラクターフライは、基本的なリアリズムに基づいていなければならない。水面の膜がマスに見えるドライフライの姿をあいまいなものにしてしまうというのは事実だ。
つまり、川でのデッドドリフト・プレゼンテーションに誘惑の要素を入れることは「可能」という域を通り越し、むしろある程度「必要」なのである。
セレクティブであれ無差別であれ、水面でエサを採っているマスの頭には、つねに判断の枠が存在する。昆虫の安定した流下がない時間帯、マスはサーチモードになり、動き回らないとしても流下物をいちいちチェックし、頭上を流れるものすべてに好奇心を働かせ、生きた食べ物とそれ以外を区別する特徴を探している。特定昆虫のハッチが起こると、その枠はぐっと縮まり、具体的になってくるわけだ。
フォームラインに並んでライズするマスの位置には、力関係が反映される。ハッチが来るたび、自分のポジションに戻って捕食を行なうのだ
それらの特徴は、一連のリンクと考えればよい。マスがフライを認識する流れも、そのリンクに従う。視野の中で、一瞬の間に、次々と見せられる特徴だ。そして、大事なリンクによってフライを食べ物として納得させられなければ、マスはそれを無視するか拒否する。
結んだフライが釣れないのは、このような理由だ。ではなぜ、特定のフライが時として、ありとあらゆる予測を裏切って大当たりするのだろうか?それは2つの要因の組み合わせの結果だ。まず重要な特徴がいっさい落ちていないこと(平均的な成功が保証される)。次に、何らかの方法で誇張された主要な特徴が、特別に大きなリンクとしてマスの注意を惹きつけ、捕食を促したこと。
イミテーションもアトラクターも、基本的な違いはない。いずれも、破綻を起こさずに現実を引き伸ばすことをねらうのだ。